私が不安で苦しい状況から立ち上がれた1つの方法をご紹介します。それは、
あなたが知らないうちにため込んでしまっている「怒り」の感情を上手に吐き出すことから始める。
あなたと同じように、私も自分の事ばかり責めていました。
いつも周りの人に謝ってばかりで、「怒り」の感情を吐き出すなんて思いもしませんでした。
でも、泉谷閑示さんが書かれた本「うつの効用」や「心=身体の声を聴く」を読んで、
心が前向きになり、
不安を解消するキッカケがわかった
そんな気持ちになれました。あなたも私のように不安を解消してください。
あなたに泉谷先生の著書「心=身体の声を聴く」をご紹介していきます。
「怒り」を吐き出すために、閉ざされた心のフタを開けよう
心のフタを開けるには=人間の構造を知ろう
心の「フタ」を開けるためには、まず人間の構造を知る必要があります。
下図のように、人間は「頭」と「心=身体」のハイブリッドになっています。
→ 「頭」は、~すべき、~すべきでない、といったmust、should系列の言葉を用います。
→ 「心」は、~したい、~したくないといったwant to系列の言葉を発します。
この両者がぶつかり合うことを心理学的には「葛藤」
フタが閉まって「心」の声が封じ込められた状態は「抑圧」
「葛藤」は、「~しなければならないけれど ~したくはない」といった感じで悩みとして本人に意識されます。
「抑圧」は、「心」の声が閉じ込められているため、悩みとして自覚されることはありません。
この自覚されないのが危険なのです
フタを閉められ「頭」に言いたい事を聞いてもらえない「心」は、あるところまでは我慢もしてくれます。
しかし
我慢の限度を超えるとストライキや反発を起こしたり、仲間である「身体」から体調不良という形でシグナルを出します。
これが「うつ状態」なのです。
「頭」は、損得を計算したり、効率や意義を求めようとします。
現代社会は、そんな「頭」の性質を反映し、「頭」の価値観で動くようになってしまっています。
このような社会で、どうしても置き去りにされ、踏みにじられがちなのが、人間の「生き物」としての側面。
人間が、自然原理(心)と非自然原理(頭)のハイブリッドであることをもう一度思い出す必要があります。
私たちの苦しみや不調は、「頭」の価値観が優位なものとして過大評価されてしまっているのが原因なのです。
感情には2種類ある「浅い感情」と「深い感情」
感情について理解しよう
感情には「頭」に由来するものと、「心」のものがあります。
しかも、ややこしいことに 「感情的」と呼ばれるものは「頭」に由来するものなのです。
このような内容が元になっている感情は、全て「頭」由来のものです。
例えば 「頭」由来の感情は、
・未来や過去をシミュレートして生ずる不安・後悔(代表的な感情)
・物事が思い通りになって「うれしい」(欲望に基づく感情)
・思い通りにいかないから「いら立つ」(欲望に基づく感情)
・他人と比べることによって生ずる「劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑み」
感情を区別しよう
感情を次のように区別します。
浅い感情 →「頭」から生み出される感情
深い感情 →「心」由来の感情
「心」由来の感情は、単純化すれば「喜怒哀楽」の4つ。
そして、 「心」は愛の場所なので、これらの感情は「愛」のバリエーションなのです。
例えば 「怒り」は、
・相手をコントロールしようとする欲望やエゴの押し付けといった邪悪なものに遭遇したり
・それが自分に向けられたときに「心」が発動する迎撃ミサイル。
=義憤としての怒り(道に外れたことに対して発する怒り)
例えば 「哀しみ」は、
・悲惨なもの、気の毒なものに対しての慈愛
・「喜び」「楽しさ」生気にあふれたものに「心」が共鳴し躍動すれば生じる気持ち
これらが「深い感情」の内容です。
感情の井戸
「心」のフタが閉じられた状態だと「心」で生じた感情は出口を失い、ある順番で「心」の中に閉じ込められてしまうことになります。
その様子を表したのが、下の図です。
ちょうど「心」の中に井戸があって、フタに近い方から「怒」「哀」「喜」「楽」の順番で感情がたまっています。
この順番は、泉谷先生が臨床経験の結果、明らかになってきた重要な所見です。
注目すべきなのは
フタに近い方に、一般的にはネガティブな感情と考えられている「怒」「哀」があり、奥深い場所にポジティブな感情と呼ばれる「喜」「楽」があることです。
上にある「怒」「哀」がそこに居座ったままでは、下にある「喜」「楽」は外に出てくることができません。
つまり
自己啓発本などで提唱されているような「ネガティブな感情に振り回されず、ポジティブな感情を大切にしましょう」といったことは、実行不可能な理想論に過ぎないことが分かると思います。
近年、このような誤った考え方があちこちで唱えられていますが、
その原因は
頭が生み出す「浅い怒り」と心に由来する「深い怒り」とが、きちんと区別されていないところにあるのではないかと考えられます。
そもそも「怒り」や「哀しみ」も愛の表現形なのであって、これを単純に「ネガティブ」と見なしてしまっているところが大きな誤りです。
「深い」 感情の姿
「心」に由来する「深い感情」が、愛の表現形として示されているのが仏像やヒンズー教の彫像です。
例えば
・「欲望やエゴ」の押し付けに対する仏の怒りは、明王の形で表されています。
・「か弱く哀れなもの」に対する仏の慈悲の心は、菩薩の姿で表現されています。
・「喜」や「楽」は、音楽で踊るヒンズー教のシヴァ神の像などに表されています。
詳しくは、泉谷先生の記事をご覧ください。
古くから仏神の形として表されてきたものを見ても、愛に由来する「怒」「哀」 「喜」「楽」の感情は、どれも大切に扱われるべきものであることが分かります。
しかし
「浅い感情」と「深い感情」の区別ができていなければ、愛の表現形である「深い怒り」や「哀しみ」を「ネガティブ」であると誤解し、抑えるべきものと思ってしまいます。
人が「心」のフタを閉めてしまう原因は、この誤解が原因なものがほとんどです。
「怒り」の意義
泉谷先生の臨床経験では
「心」のフタを閉ざしたクライアント(患者)は、親の「浅い怒り」 がしばしばまき散らされるような環境に育ってきた場合が多いそうです。
クライアントにとって「怒り」はそのような事情で忌むべきものでした。そのため、 自分自身の「怒り」も良くないものだと強く思うようになるのだそうです。
その結果
「浅い怒り」を抑えるにとどまらず、「深い怒り」までを自分自身に禁じるようになってしまった。それが、感情の井戸のフタが堅く閉められた原因なのです。
感情の井戸の図のように、抑えられるのは「怒り」だけではありません。人間にとって最も大切な「心」由来の感情が、すべて抑え込まれてしまうのです。
怒りの吐き出しノート
「心」のフタを開けるには、井戸の一番上にいる「怒り」の誤解を解消しなければなりません。
そのためには、親などが発したのは「浅い怒り」であって、愛の一種である「深い怒り」は、むしろ素晴らしいものであるということを知っておかなければならなりません。
誤解してはならないのは
フタを開けて「深い怒り」を出すということが、必ずしもそれを周囲や相手にぶちまけることを意味しているのではないということ。
あくまで「心」から湧き上がってくる感情を「頭」があるがままに受け止めることが大切なのであって、それを言動として表に出すか出さないかは、社会性をつかさどる「頭」が適切に判断すべき問題です。
しかし、自分の外に出されない「深い感情」は、行き場がなくフラストレーションがたまってしまうかもしれません。
そんな場合には、その感情を文字にしてみると良いだろう。
自分の内に留めておくより、文字化して自分の外に出すことによって、かなり気持ちが軽くなるはずである。
それを泉谷先生は「心の吐き出しノート」と呼んで推奨しています。
まとめ
自分の気持ちを文字にして「心の吐き出しノート」に書いてみよう!
(絶対、人には見せないように)
私も心の吐き出しノートで気持ちが楽になりました。
詳しい内容を知りたいあなたへ、泉谷先生の「心=身体の声を聴く」を読んでみてください。
人類が長い歴史の中で、さまざまな差別や虐待、理不尽な因習や社会制度を改革し、新しく素晴らしいものを生み出してきた源泉には、必ずや、邪悪なものへの「深い怒り」が あった。
しかし、私たちの周りには「怒らないことが良いことだ」といった浅薄な考えが、 いつの間にか、はびこってしまっている。
「深い怒り」が抑えこまれると、人は精神的に去勢されたような状態に陥り、生きる喜びから遠ざけられてしまう。
それだけでなく、理不尽なことや不正をはねのける力を失い、邪悪なものが横行する世の中に加担することにもなってしまうかも知れない。