あなたにとって「幸せ」とは、何でしょうか?
またどうすれば、あなたが思う「幸せ」という状態になれるのでしょうか?
目に見えない、形のない「幸せ」というものが、どういうものなのか?「アランの幸福論」から、その答えを探しましょう。
情念とうまく付き合う
情念とは、基本的に、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ、驚きの6つある。つまり、情念は感情に似ている。しかし、感情よりもっと心の深い部分で沸き起こる思いのようなものである。
アランは、こう言います。
情念に否定してはいけない。しかし溺れたり虜になってもいけない。自分の感情とどう付き合っていくかが大切である。
また、情念のほうが病気よりも耐え難い。
その理由はたぶんこうだ。
情念はわたしたち自身の性格や思想から全面的に起因しているように見えるが、それとともにどうにも打ち克つことのできない必然性のしるしを帯びているのである。
自然の法則、社会の習慣、他人の存在=自分で自由にならないもの。自由にならないから、必然的に見えてしまうのです。「死」自体も同様です。自由にならない。だから死の恐怖や良くない想像が頭を駆け巡るのです。
情念に対しては、わたしたちはなす術がない。「すべ」というのは、わたしが愛するにせよ、憎むにせよ、必ずしも対象が目の前にある必要はないからだ。
情念とは、自分中で膨らんでいく想像であり、一度沸き起こるとどうする事も出来なくなり、情念に流されてしまう。
情念との付き合い方
自分を不幸だと思い込んでいる人がいます。
妬みや不安など、膨らんだ情念に支配されて、好ましい出来事も友達の助けも遠ざけてしまいます。
この情念に打ち克つにはどうしたらいいのでしょうか?
自分の情念、それは自分であるが自分よりも強い。情念は自分そのものであるから、逃げる事はできない。それに対抗するには意志の力が必要だ。
人間は情念という薮だらけの荒野を自らの手で耕さなければならない。強い意志の力によって。そうすれば人生に豊かな実りを得る事ができる。
そういう時ほど、意志の力で楽観主義者になれ!
①悲観主義は感情で、楽観主義は意志による。無理をしてでも楽観主義になれ。
②幸福になりたいと思ったら、そのために努力しなければならない。
③喜びは行動とともにやってくる。
意志、努力、行動!
自分の中の情念と付き合って、打ち勝つこと!幸福は、そういう行動の中にしかない。
行動の人、経験主義者だった
実践の哲学
人間は行動のない快楽よりも、行動に伴う困難の方を選ぶ。
行動してる時は考える暇もない、充実してる。そんな行動に没頭できる事こそが既に幸福なんだ。
行動は予測不能なものに対応していく。
人生の主役になれ
子ども時代、人形劇に無中になった。お芝居は見て退屈する事もあるが、もし自分が観客ではなく、舞台の上で演じる役者だったら、きっと退屈などしてられない。
幸せになりたい人は、観客ではなく舞台に上がらなければならない。
真の幸福とは自分で生み出すもの。
それは何がに打ちこんで自分自身で喜びを作り出すとこのできる生き方。
人生の主役になる事で人はどんな困難も苦しみではなく、幸福への道筋にできる。
人生は舞台のことだけでなく、主役がいるから、脇役がいるという事ではなく、自分の人生の主役=自分の人生に対して、能動的に生きろ!ということ。
自分の人生を作り出せ!自分の人生は自分が主役!誰かに役を与えられる訳ではない。自ら作り出すことこそが幸福。
人には2種類ある
1命じられて受動的な行動
2自ら進んで行う能動的な行動
仕事も言われて押し付けられる仕事は楽しくない。
どんな職業も自分が主導権を握って働ける場合は愉快だが、服従するかぎりでは不愉快である。
仕事を自ら行っていく、能動的に変えていけば、愉快になれる。
真の幸福とは
山頂まで登山電車で来た人は登山家と同じ太陽を見ることはできない。
人は、努力して得たことが幸福につながり、棚ぼたの幸福を望んでいない。
欲しいものは全てそこにある。山のようなものだ。私たちを待っており、逃げていきはしない。
だがそれゆえ、よじ登らなくてはならない。
だから、じっと考えていて想像の虜になっていても何も始まらない。
自ら取りに行かねばならない。そこにあるのだから。
幸福とは、人から与えられるモノでなく、自分で勝ち取るモノ。
また、
自分の中に幸福を持たないと、その幸福を他人に与える事ができない。
努力するという行動こそが、幸福感につながっている。
充実してる、自分で勝ち取る行為が、幸福そのもの。
幸せは、自分の行動が決めるのである!